小市民的シネマ断想

ドラゴン怒りの鉄拳・・・熱狂の時代
1972  香港(日本公開1974) 
制作総指揮:レイモンド・チョウ 
制作・リュウ・リャンファ 
監督:ロー・ウェイ 
出演:ブルース・リー、ノラ・ミャオ 他
 この映画には特に、本当に当時の我々モテナイ少年ブルース・リーフリークを熱狂させた、シーンが沢山出てくる。 

例えば 
・ラストシーンで、警官の射撃の中ブルース・リーのジャンピングキックでストップモーションになるシーン。 
・日本の剣豪との戦いにおいて、日本刀を持つ相手の手をキックし、上に跳ね上がった日本刀を相手をおじぎさせた格好で上から刀が降りてくる勢いを利用して、突き刺すシーン 
・日本人の相手を思いっ切りキックし、部屋を突き抜け庭までブッ飛ばすシーン。 
・師匠を暗殺され、その葬儀の式場で後から駆けつけたブルースリーが、「ティーチャー!(先生!)」と絶叫するシーン 

  などなど・・・ 

  怒りの鉄拳は今見ると、投げ飛ばされる敵の日本人の門弟に人形が使用されていたり、などとアラが見え見えの箇所もあるが、当時のモテナイ少年ブルース・リーフリークは、そんなことには気づかず、いとも簡単にこれらのシーンにシビレテ、マイッチャッていたのである。 
ブルース・リーの歩き方、身のこなし、表情、全てにイカレちゃっていたのである。

  この映画では敵対する日本人が徹底的に悪者に描かれていて、当時なにか問題になったとかならないとか聞く。
 僕もドップリ日本人であるが、この映画を見ていて日本人の何かが汚されてとかどうとか、全然、ほんのこれっぽっちも、カスほども、思わなかった。 ブルース・リー側に悪感情を抱くなどということは、微塵も無かった。
 むしろ、完全ブルース・リー側で、日本人ブッ飛ばせ!とすら思っていた。少なくとも私の周りは、皆そうだったと記憶する。 
実際あの映画を見て、敵側の日本人をどれだけ擁護したくなるかは、わからぬ。 
少なくとも、今でも僕がもちろんブルース・リー側であることも、言うまでもない。 

 それから結構ブルース・リー映画には、欠かせないヒロイン役の、ノラミャオのカワイサも結構ポイントであった。 

 当時「仮面ライダースナック」なる菓子が、我々少年の間ではブームになっていた。 
これは、菓子本体よりも、そのオマケの「ライダーカード」なるものを収集するのが、メインだった。 

 この「ライダーカード」を模倣し、「ブルース・リーカード」なるものも発売され、これも我々モテナイ少年ブルース・リーフリークを熱狂の輪に陥れてしまった。 
こちらは菓子のオマケでは無く、カード本体をそのまま販売していた。 

 僕も集めたことは言うまでもない。 
今でも取っといたらな、と後悔している。 
なぜ捨てちゃったのか? 
おそらく自分のヒーローが、ブルースリーから、ビートルズに移っていった為、興味が薄れていったためかもしれない。ビートルズものは、結構とっておいてあったのに・・・ 
「暴力よりも、愛だよな!愛!」などと思っていたのかもしれない。

 少年の依存的心理は、外部のヒーローにのめりこみやすく熱し易い状態にある。
そして少年の心は、乙女心のようにいとも簡単に移ろいやすく、醒め易かったのである。 

 ま、しかし何はともあれ、自分史の中ではとても良い時代だったことには変わりない。 
そんな時代を彩る、ブルース・リーは、どこか他人のような気がしない。 

(2000.6.26)


ドラゴンへの道・・・へなちょこが立つ時
1972  香港(日本公開1975) 
制作総指揮:レイモンド・チョウ
脚本&監督:ブルース・リー 
出演:ブルース・リー、ノラ・ミャオ、チャック・ノリス 他
 「燃えよドラゴン」で一世を風靡したブルース・リーであったが、我々モテナイ少年ブルース・リーフリークの間では「ドラゴン怒りの鉄拳」と、この「ドラゴンへの道」の人気が最も高かったと記憶する。 

   モテナイ少年フリークが熱狂・感動するパターンにこういうのがある。 
それは、「へなちょこに見えていた男性が、実はすごい才能の持ち主だったりする」というパターン。 
これには驚愕し、時には感動すら呼び起こす場合がある。 
時にはそこに「男のカッコヨサ」を見出したりもする。 
へなちょこが立ち上がって、ヒーローに変わっていくさまに、鳥肌が総立ちする。
「すげえ!、すんげえよオマエ!」みたいな・・・。 

   どっかのヘナチョコに見えたけど、実は類まれな才能の持ち主というパターン。 
結構これは、いろんな名作で使用されている「感動呼び起こしパターン」で、僕もこれには滅法弱く、良くヤラレテしまう。 
例えば誰しもが知っているような代表的なものとしては、あの「水戸黄門」。 
最初はどっかのタヌキオヤジだと思っていたのが、実はかつての江戸幕府の副将軍だったなんてのがある。 

 以下有名な例を挙げていくと、 
「スターウォーズ」のヨーダも、ちんちくりんの宇宙人オヤジに見えたのが、実はジェダイマスターだった。 
アニメだと「ドラゴンボール」で、どっかの猿小僧だった悟空が、実は伝説の最強戦士スーパーサイヤ人だった。 
「スラムダンク」で、どっかの不良学生の桜木花道が、実は類まれなバスケット能力を持っていた。 
などなど・・・ 

 「ドラゴンへの道」のブルース・リーは、まさにこのパターンを踏襲していて、うだつの上がらぬ田舎青年が、実は拳法の達人だったというものである。 
この見た目とのギャップが、最高の興奮を呼び起こすのである。 
我々モテナイ少年ブルース・リーフリークは、モチロンこれで簡単にコロリといかれてしまった。 

   ところで、忘れてはいけないのは、ブルース・リー映画の主題歌である。 
特に「ドラゴン怒りの鉄拳」と、この「ドラゴンへの道」の主題歌には、我々モテナイ少年ブルース・リーフリークも熱狂した。 
僕は友人が持っていたサウンドトラックのレコードを貸してもらい、スピーカーに耳を当てつつ、歌詞を聞いてそれを、紙に書き取ったりなどしていた。
「ウエー、ゼン、ミークネース、ゼウイルビン ブラーイトラーイー・・・」みたいな。 
まだビートルズに出会う前だったので、我が歴史において、これはまさに最も早い時期に熱狂した洋楽といえる。 

   しかし、これが真の洋楽ということに「?」のつく事実が後年発覚する。 
実は、僕らが熱狂していた、主題歌は、オリジナル映画には、存在しないものだったのである。 
なんと日本の会社が、オリジナルの主題歌を元に、それに勝手に英語の歌詞をつけて、ちゃっかり挿入させていたもののようだ。
映画のセリフだって、日本が勝手に英語に吹き替えてしまっていたようだ。 

   後年この事実を知り、複雑な思いが心中を去来した。 
東京で華々しく活躍している様を、上京した親に見せた息子だったが、実は友人に頼んでそのような芝居をしていただけで、実際は毎日バイトで、食うや食わずの生活をしていたみたいな、そんな感じである(?喩えがわかりにくいって?)。 

   我々はモテナイ少年ブルース・リーフリークは、なんとニセモノに浮かれてしまっていたのである・・・ 
しかしながら、今やモテナイ独身青年までに成長した元モテナイ少年ブルース・リーフリークには、「ダマサレタ」という思いは全くない。 
むしろ、「いい夢見させてもらったよ」という思いすらある。 
むしろ、「僕らだけに特別な感動ありがとう」という思いすらある。
育ての母に「母さん、貴方が僕の本当の母親ですよ」なんて、言うようなもんである。

(2000.6.26)

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